崇高

 ジメジメした空気は鬱陶しいけれども、この独特な憂き気候が、どこからともなくインスピレーションを呼んで来る(ような気がする)のもまた確か。…などと、何だか創作家っぽい、崇高っぽい(笑)ことをたまには言ってみる。
 いつか言ったかも知れないけど、音楽を作ることなんてのは、決して崇高なことではないと思うんですよね。基本的には、作りたいから作る。演りたいから演る。モチベーションの根源は、気持ちいいから。達成感があるから。昂揚するから。誰かに自分の存在や思いを知ってもらいたいから。ベーシストの種子田健さんが仰ってウンウンと頷いてしまったのだけど、ミュージシャンというのはある意味、快楽主義の極みだと。その通りだと思います。
 もちろんそんな生活を維持するために、メシ食う為に音楽をやる、といったプラクティカルな動機も一方で確実に存在するでしょうが、基本的には「楽しいから」やっているのに他なりません。
 毒づいても仕方ないんだけど、よくいるんですよね。音楽を作ることで、またそれに関わることで、あたかも崇高なものを生み出しているかのように、そして自分が一段高みに立ったかのように勘違いする人間。思うだけならまだしも、そうした態度で人に接してしまう人間。音楽業界は一見(あくまで一見)華やかっぽいですからね、そんな態度の人間に、さらに食いつく人がいるのもまた事実で、勘違いするのも仕方ない部分もあるかも知れませんが。でも、音楽ってのぁそんなものじゃないじゃん。
 個人の中で、あるひとつの曲が「特別なもの」になることはあっても、音楽自体が崇高なんてことはないと思う。そんなに美しいものでも、目映いものでも、高尚なものでもない。作り手側に立って言えば、単なる欲望の結晶…というのは言い過ぎでしょうか。でも、そういうものだと思います(他の業界…出版、映画やなんかについては知りません、根本は同じだと思いますが)。
 決して創作プロセスそのものを貶めたいとか、妙な卑下をしているわけではないですよ。自分が心身削って関わった作品は当然、他と比べて特別視はするし、唯一無二、大切なもの。高みに置きたい気分にもなる。でも元来もっとナチュラルで、すぐそばにあるもののはずではないかと。
 翻って自分はどうか。勘違いということについて言えば、したことがなかったか。選民性みたいなものを意識したことがないのか。正直、全くないとは言い切れない。それなりに評価して下さる有り難い方々がいて、それを自信へと昇華して来た歴史が厳然とあります。
 ただ、願わくば…出来る限り、息を吸うように、何かを食うように、睡眠を取るように、セックスをするように、自然に音楽に接していたい。全く自然に、本能のままに、なんてのは実際は無理かも知れない。でも、理念はそこに持ち続けたい。快楽を追うことだけが正しいなんてことはないが、元々モチベーションはそこにあるはず、それは間違いないのだから、そっちを肯定して行けばいいじゃん。そう、崇高なものなんてことは有り得ない。格好付けてもダッセェだけ。
 今日はそんな風に漠然と考えていました。…完全に独りごと、自己完結日記ですねこりゃ。

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 それはそうと、明日はワタクシ誕生日なのでございます。良かったら皆さん、おめでとうと、どうかひとことお声をかけてやって下さい。どうもありがとうございます。