合唱

 http://www.youtube.com/watch?v=9RgtFqOs8s0&feature=related
 合唱動画。こういうのを見ると、無条件に感動して泣きそうになる。

 自分が当事者だった頃は、「唄わされている」というような感覚しかなかった。本番ともなれば多少の緊張感はあったものの、頭の中はどこか冷めていたように思う。合唱という行為の意味も理解し(ようとし)ていなかったし、ましてや詞の内容を噛み締めて表現する、なんてませた感覚も持ち合わせていなかった。こなすべき行事として、ただ流れのままに「唄わされて」いたのだった。

 おそらく今の子供達だって、多くは似たようなものなんだろう。唄が大好き、または大勢が一丸となって行うイベントが大好き、というような優れてオープンな性分でない限り、大抵の子供は、表層を撫でる程度の心持ちで向かい合っているに違いない。もちろん真面目に取り組んだり、どうせやるならなるべく上手にこなして皆で評価を得たい、という気持ちぐらいは、あることはあるのだろうけれど。

 唄っている人間のそんな冷めた心象が分かっているのに、今になって、聴いているこちらが感動してしまうのは何故なんだろう。ガキどもちゃんとやれ、中二病は大丈夫か、なんて斜に構えて笑い飛ばせないのは何故なんだろう。

 もう戻れない日々。今よりずっと空洞の多かった心。真っ白で真っ黒な日常。出所の分からない苛立ち。目的地の分からない旅。好きだった人。嫌いだった先生。昇降口の匂い。肩にかかるバッグの重み。
 そして、ずっとずっと先のことになるのだけど、ある時期から抱いた、誰かの心を動かす曲を作りたいという思い。
 すべてが綯い交ぜになって、キラキラと眩しく飛び込んで来る。