マナーのベクトル

 電車で移動中、誰かの携帯電話が鳴った。急ぎ電話を取り出したのは、一見してセールスウーマン風の中年女性。彼女は周囲に気遣って、相手に断りを入れ始める。
 「もしもし、あーこれはどうも〜、わざわざご連絡頂きまして。あの、いま電車に乗っておりまして…電車を降りましたらまたこちらからかけ直します。大変申し訳ございません」
 極めて丁寧かつ上品な物言いであり、服装や全体の雰囲気も含め、街で出会ったなら、好感の持てる人物かも知れない。短い通話は、電車内での携帯電話マナーを(大目に見て)ギリギリの所で守ったと言えるかも知れない。
 しかし、こちらが簡単には好意的になれないほど、彼女の声はカン高かった。彼女の中では、電話をかけて来た相手への礼節と、他の乗客への配慮を両立させたつもりなのだろうが、明らかにバランスが悪い。
 もし自分が電話した相手が、小声になるでもなく、受話器を押さえる風でもなく、ごく普通のトーンで「いま電車に乗ってるんでー」なんて言ったとしたら、それが普段どんなに好意的に思っている人物でも、ほんの少し品性を疑ってしまうなぁと思った。もちろん、「電話に出た」ことに対してではなく、そのバランス感覚に。